笹沢佐保『流れ舟は帰らず 木枯し紋次郎ミステリ傑作選』(末國善己 編)

笹沢佐保『流れ舟は帰らず 木枯し紋次郎ミステリ傑作選』(末國善己 編 2018/1月刊 創元推理文庫)読。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488485115

柴田錬三郎『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』↓に続く…
http://d.hatena.ne.jp/domperimottekoi/20170603/1496448590
末國善己氏編による本格謎解き物の側面を持つ剣客時代小説シリーズ傑作集第2弾はテレビドラマでも一世風靡した笹沢佐保木枯し紋次郎。が個人的には遺憾乍ら七〇年代序盤高校生の頃テレビをほとんど視なかった時期があり(思春期の心理的変化ゆえと思われ)原作は言わずもがなドラマ『木枯し紋次郎』も大人気との噂を聞くのみでリアルタイムではまともに視聴したことがなく今に至るもソフト等を通じて視ることさえないままに経過。にも拘らず主人公紋次郎の有名な台詞「あっしには関わりのねえこって」と演者中村敦夫のその際の声や表情だけはなぜか脳裏に。おそらくはあまりの高名さゆえに他の番組等で盛んに引き合いに出されたものを視/聴き齧ったゆえだろうが…兎に角木枯し紋次郎との接触がその程度だったことは往時に纏わる悔いの1つ。しかしそれだけに今般本書により原作小説の主要部をまとめて摂取できたのは殊更新鮮な体験となり僥倖と。
全篇通読してまず意外なのは小説中の紋次郎が件の「あっしには関わりの…」と言っている例が実は決して多くはないこと。ただ類似の表現が台詞や地の文に時々あり必然的に目につくのはたしかなので紋次郎の虚無性を象徴するフレーズとしてドラマを通じ人口に膾炙したものと。ともあれそんな〈歩くニヒリズム〉とも呼び得るキャラクターがしかし単にハードボイルドあるいはノワール的な性格にはとどまらず寧ろ本格ミステリー趣味横溢する〈論理的推理による謎の解明〉や〈物語を覆す意外な真相〉をこそ常に紡ぎ出していくところは恰も眠狂四郎に通じる。しかも作者によるその方向性が決して偶然や成り行きではなく極めて意識的計画的だったことが末國氏による解説で明かされている。引用によれば作者笹沢は連載時に毎回読者を驚かせるどんでん返しを書き続けるために「頭をひねるだけでも重労働」「新しい意外性はないかと血眼になっていると言っても決して大袈裟ではない」と吐露しており労苦を偲ばせる。その結実たる本書収録作を読むとなるほどこれが艱難の成果かと頷けること大。
第1作「赦免花は散った」は渡世人紋次郎誕生の裏面に秘められた惨劇。表題作「流れ舟は帰らず」は人探しに巻き込まれた紋次郎が出遭う非情逸話。「女人講の闇を裂く」は庚申講の暗部に端を発する復讐譚。「大江戸の夜を走れ」は凶悪盗賊の処刑を巡る二転三転。「笛が流れた雁坂峠」は女郎団逃走に関わる紋次郎の活躍。「霧雨に二度哭いた」は双子トリックの秀逸な応用篇。「鬼が一匹関わった」は探偵役が紋次郎以外の人物となる捻り。「旅立ちは三日後に」は紋次郎自身が身の振り方に迷う意外篇。「桜が隠す嘘二つ」は国定忠治を含む親分衆22人の前での推理披歴。「明日も無宿の次男坊」は表題作「流れ舟…」に通じる人探し譚の別趣向(この作のみ末尾の名物〈記録引用〉がないのが目を惹く)。佳篇揃い中から1作挙げるなら個人的に故郷越後が舞台となる「女人講…」を贔屓目に加えて結構の鮮やかさもあり敢えて。
人と関わることを避け義理や人情とは無縁に生きる紋次郎が行く先々で意志に反し渦中入りを余儀なくされるのが筋立てのパターンでそうさせるのは彼の剣の令名に惹かれる男たちでありあるいは彼の男ぶりに魅かれる女たちでもありそのあたりも眠狂四郎とのライバル性だが紋次郎のほうがよりニヒルさを極めているだけにギャップの魅力もより大きいと言えるかもしれない。

読後にドラマ版『木枯し紋次郎』第1シーズンから3話のみネット動画で初視聴 01「川留めの水は濁った」04「女人講の闇を裂く」06「大江戸の夜を走れ」ゲスト女優其々小川真由美 藤村志保 安田道代。原作初作「赦免花…」での紋次郎流浪経緯は省かれているが「女人講…」「大江戸…」はほぼ原作踏襲。ただ映像版は配役から概ね予想つくゆえか意外性をある意味切り捨てているのと紋次郎が比較的〈人との関わり〉に積極的なのが特徴か。が中村敦夫の個性と言い殺陣の迫力と言い同年(1972)のライバル作『必殺仕掛人』へと繋がる時代劇新潮流の端緒とはこれかと実感。

末國さんありがとうございました!






























.