竹本健治『涙香迷宮』

事情によりいつの間にか刊行より3ヶ月経ったが…
http://d.hatena.ne.jp/domperimottekoi/20160314/1457888947
竹本健治『涙香迷宮』(講談社)遂に読了す。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062199544

【日本語の技巧と遊戯性をとことん極めた】【日本語の豊かさと深さをあらためて知る「言葉のミステリー」】の惹句に違わぬ言語実験の奇蹟的大伽藍! …が読みながら&読んだあとも残る最大の謎は──この凄い暗号を「創った者&解読した者」は一体誰なのか??──ということ。作中では勿論明治期日本のダ・ヴィンチと称せられるべき天才黒岩涙香がこの暗号を創り遺し&現代の天才牧場智久がそれに挑む構図だが…それはあくまで「設定」であり「この小説の中の」黒岩涙香という(謂わば)キャラクターが創ったのだとすればとりも直さず「作者 竹本健治が創った」ということになるがそれでOK? …(巻末には定句ながら「登場人物は実在する個人とは関係ありません」と書かれており) …もしそうでなく実在する涙香の暗号を作中の牧場智久が解いたのだとしたら、これまた即ち「作者自身が解いた」ということになるわけでそれもOK? …どちらにせよ凄いことだ。と言うかそここそが凄いところだ。でも…ほんとはどっち?? …事前情報見ないようにして読んだためそこが不明。事後検索してもみんな暗号の凄さには驚いているがもっと凄いその点には誰も触れていないような… がしかし不明のままでいいのかもしれない、虚実の境界の謎こそこの作者の自家薬籠、敢えてどちらだなどと穿るのは野暮の骨頂か…
また「殺人事件は副次的であり、暗号第一」といった種類の感想も見られたが個人的にはそれは些か首肯できない(暗号の凄さへの驚きの表現とは重々判りはするが)。暗号テーマなのは読む前から判っていることでむしろ注目すべきはそれに絡んで起こる事件が暗号によって如何なる色彩を帯びることになるか且つ又暗号にとってこの事件が如何なる意味を持つか──つまりはそこを作者がどう描いているか──という点だ。この作家においてはテーマ・設定・人物・舞台・トリック・小道具etc…全ての要素が有機的に密に連関しているのであり「暗号は暗号、事件は事件」などと機械的に分離することはできない。暗号のみならず作中に多数挿入されている図や棋譜なども全て文章と同等の比重でこの「小説」を形成し支えているのであり単なる装飾的ペダントリ―ではない──ゲームに疎い不肖評子には理解できない図も多いがそれでもその「小説性」は伝わってくる!…
ひとつ迂闊だったのはてっきり牧場智久単独主演?作らしいと予想していたことで、開けてみたらば本作もまた武藤類子とのコンビシリーズの一環だった。ただその迂闊のお陰で改めて気づいたことがある──このシリーズの「視点」についてだ。つまり『凶区の爪』『妖霧の舌』『緑衣の牙』はいずれも基本的には類子の三人称一視点で書かれており(構成の趣向上別視点の章が挿入される場合以外)、この『涙香迷宮』もまたそうだ。小説の地の文の記述は非常に慎重且つ客観的なので気づかずにいることが多いが実はそうなのであり目立たない乍らコントラバスのようにシリーズの基調音として作用としているのではないかと今にして思う。因みに類子の単独初登場(&主演)作『殺人ライブへようこそ』は類子の一人称視点で、それ以前の智久&須堂信一郎シリーズとされる所謂ゲーム三部作は基本的に智久の姉典子の三人称視点だったと思う。そのあたりの隠された効果まで作者は常に入念に考えていそうだ──作家なら当然と言われるかもしれないが。
…解かれないまま残された謎は他にもあり(ラストあれとか)、時間経過してから再読するとまた新たな発見がきっとあるだろう、それもひとつならず。問題作にして稀有の傑作。

涙香迷宮

涙香迷宮




…にしても──作中にも出てくるが──涙香類子は偶然? orそれもまた…?


























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