綾辻行人 我孫子武丸 竹本健治 磯田秀人「新本格ミステリ事始め」

5/13土「新本格ミステリ事始め」於 池上会館。http://www.walkerplus.com/event/ar0313e180600/
綾辻行人我孫子武丸竹本健治氏+嘗て3氏をマネジメントしていたピンポイントの磯田秀人氏。

これまで漠然としか把握していなかった竹本氏&新本格とピンポイントとの関わりを巡り多々詳細を知らされ瞠目の連続。
磯田氏はCBSソニーレコード(現ソニー・ミュージックレコーズ)でシカゴやサンタナ等洋楽を担当したのちキティ・ミュージック・コーポレーション(現在は数度の買収や統合を経て事実上消滅)に移りそこからCBSソニー出版(現ソニー・マガジンズ)に出向して文芸方面に新たな才能を探していた折に 1978年頃 友人 秋山協一郎氏(のちに綺譚社を起こすフリー編集者。夫人は漫画家 高野文子氏)から「『幻影城』と言う雑誌に凄い新人がいる」と聞いて関心覚え 単行本化直前の『匣の中の失楽』連載期の同誌11冊を一挙入手し 他のページは全て破り捨てて(!)『匣』のみを3日かけて読破し(※1度休載しているので実際に読んだのは10冊分の筈)その才能に驚愕 早速竹本氏を訪ねて交渉しマネジメント契約に至った由。作家エージェントと言う日本初の職種を始めることになった磯田氏は音楽業界で培ったノウハウと親会社キティ・ミュージックの資金力を活かし(当時安全地帯が大当りし大儲けしたらしい)有望アーティストを育てる感覚で竹本氏に出世払いで生活費を貸付する代わりに小説執筆に専念するべく要請 と同時に生来得意なゲーム分野をテーマとしたシリーズの創造を提案。竹本氏はそれを受けて『囲碁殺人事件』を書き80年CBSソニー出版より刊行 翌81年『将棋』『トランプ』と続刊。斯くて磯田氏は牧場智久シリーズの代父的存在と言えることに。氏自身の証言によればこのとき『囲碁』は驚くほど売れたそうで 事業続行の梃子となったと思われる。
一方綾辻氏は79年京大入学(竹本氏『匣』初刊の翌年)4年後の82年 4年生のとき『追悼の島─十角館殺人事件─』(のちの『十角館の殺人』の原型となる作)を江戸川乱歩賞に応募するも二次選考通過までは至らず。大学院に進んで83〜84年頃 島田荘司竹本健治氏と別個に知遇を得 其々から可能性を認められ(このとき竹本氏には「四〇九号室の患者」及び後年『人形館の殺人』の元になる短篇の原稿を読んでもらった由)竹本氏を通じて磯田氏に紹介され同様に才を買われてマネジメント契約。85年頃 磯田氏は『追悼の島』の原稿を出版社に売り込みにかけ最終的に講談社の故 宇山日出臣氏により採用(その前に角川書店等には断られた由)。86年 小野不由美氏と結婚 87年『追悼の島』を改稿した『十角館の殺人』を講談社ノベルスより発売。宇山氏と志を同じくする島田氏の肝煎りもあり〈新本格ミステリ〉としてブームの端緒を形成。同じ頃 磯田氏は綾辻氏に有能な友人を紹介してくれるよう打診 これにより夫人の小野氏始め後輩の我孫子氏も磯田氏の傘下に入り 我孫子氏は89年『8の殺人』で新本格の1角としてデビュー(やはり磯田氏と契約していた歌野晶午氏は既に前年デビューしていた)。
この頃に至って磯田氏は自らマネジメントするこれらの新人作家の成功の機運に賭け キティ・ミュージックより独立して新会社ピンポイントを設立 小説家だけでなく映像作家 林海象氏 漫画家 玖保キリコ氏らも専属に。磯田氏の述懐によればとくに我孫子氏が94年に発売したサウンドノベルかまいたちの夜』の大ヒットは大きかった由。また早くから契約作家となっていた竹本氏はピンポイントからの負債がかなりの高額に累積したが ミステリから一時的に離脱した時期に書いたSFアクション系の一連作群──『クー』(87)や〈パーミリオンのネコ〉シリーズ(88〜90)──が売れたお陰で完済に漕ぎつけた由(竹本氏談)。この「一時的離脱」は何がしか私的理由によりミステリに嫌悪が生じたため(但しのちに復調)とのことだが 顧みればそれによって新分野に進出でき経済的にも奏効したわけで 結果的には幸いな過渡期と言えるかも。この点について翌日個人的にお会いした際に改めて尋ねたところ「当時はまさにバブル時代で 大ベストセラーにまでならなくとも結構な印税を稼ぐことができた」そうで 時代性の違いここでも如実の感。なお現在は3氏ともピンポイントからは独立しているようだが 今回のイベント開催にも表われているとおり良好な関係が続いている模様。

回顧トークのあとはあらかじめ集めていた質問への回答に時間が割かれた(当ブログでは割愛)が できればもっと昔話を聞きたかった気も。
個人的にある意味一番印象に残ったのは あるとき京都に訪ねてきた島田氏の愛車ベンツに綾辻氏 小野氏 我孫子氏が乗せてもらい琵琶湖までドライブした話。若き佳き時代の新本格旗手たちの英姿が目に浮かぶようで微笑ましく。

これまでは新本格草創期の裏の功労者と言うと島田氏 宇山氏 戸川安宣氏のみをイメージしがちだったが 磯田氏の功績の大きさを今更に初認識。(戸川氏と磯田氏が偶然にも高校の同級生だった話も驚き)





























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