倉阪鬼一郎 編輯『幻想卵』

発掘『幻想卵』。ホチキス針が外れ散逸しかけている号もあるが…

ここに写っているのは21号〜41号上巻だが 抜けている号もあり この前後もまだどこかにあるかも。写真の一番上のは30号の上下で 奥付を見ると「幻文12年11月3日発行」となっており正しい年月は不詳だが 21号が昭和62年なので 30号は昭和の終わりor平成初頭頃か。ほとんど倉阪鬼一郎氏の個人誌の趣なるも実は寄稿者も多く この号でも右の上巻の目次(裏表紙)には並木二郎氏 藪下明博氏の名が見え(浅草二郎とキーロフ・クラサコフスキーは倉阪氏の変名) 左の下巻では 新井紫都子氏 水瀬透氏 室井保雄氏 倉阪氏らが中短篇競作の豪華布陣。この号にはないが不肖当ブログ子も何度か載せてもらい。ワープロ原稿もたまにあるがまだ手書きが多い時代。集まった原稿をコピーし折りホチキスで留める作業を1人でやっていた倉阪氏の労は如何ばかりか。がこの30号の目次↑にも見える氏の連載『ギョーカイの極北で』がのちにベストセラー『活字狂想曲』となる等 ここには様々なものの原点と言える要素が確実にあった筈。





























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