竹本健治と『緑葬館』
先般帰省し片付けの際 竹本健治氏参加の伝説の同人誌『緑葬館』創刊号と南條竹則氏の個人誌『放浪児』1号&3号を発掘!
『放浪児』は後日として今回は先ず『緑葬館』(1975年7月刊)につき簡単に紹介を。
↓目次。
全作通読(66ページ)。秀次郎「Series Metamorphosis:ほおずき」は女体ヌード写真8葉+短詩1篇。間村俊一「計比天公克商会」は前衛的俳句5句+挿画6点。竹本健治「夜は訪れぬうちに闇」は宇宙的スケールの幻想短篇(のちに中井英夫に読まれ『幻影城』誌紹介に繋がる。現在『閉じ箱』所収)。松村芳郎「of梵天儀」はアメリカンコミック風漫画。諫早道子「淵」は土俗的神秘小説。和田宜久「少年たちのハイウェイ」は自動車題材の未来SF。表口義明「両性具有の生誕」は散文詩風断章+絵1点。
…と便宜的に纏めたが実際はいずれも形式や分野に当て嵌め切れない自由奔放な先鋭感横溢。当然乍ら現代の文学フリマ等で見る同人誌とは異なる時代性。
なお目次下段には「表紙─竹本健治 北本裕章 装丁─松村芳郎 間村俊一」とあり 巻末奥付には編集 松村・間村 発行 計比天公克商会(間村方)の旨記載あり。因みにこの「計比天公克」を検索するとキャプテン・クックのことで明治期の当て字(ケピテンクーク)の由。また表紙は担当者が2人なのに書かれているのは誌名だけなので竹本健治氏に問い合わせたところ 当初北本氏が文字をデザインし竹本氏が自作の絵を貼りつけたが 経年で接着剤劣化しほとんどが剥がれた模様(但し絵は残っている可能性あり)。
寄稿者&関係者についても尋ねると 間村・和田・北本の各氏は竹本氏の友人知己だが 秀・松村・諫早・表口の諸氏は同志社大の学生だった間村氏の知人のため竹本氏は直接の面識なしとのこと。一方 北本氏は竹本氏と格別親しい仲で 中井邸を最初に訪れた際の同行者であり 実は寧ろ北本氏のほうが先導的だったらしい。間村氏はのちに装丁家兼俳人となり 諫早氏はスピリチュアル書の翻訳に携わり 和田氏はショートショート等創作を続け作品集刊行の他『妖異百物語 第一夜』にも収録歴あり。(↑目次表記 宣久だが宜久=よしひさが正)
竹本氏は同人「迷宮」の中心メンバー諸氏と昵懇だったこともあり第1回コミケ(75年12月)で自ら『緑葬館』を販売。当時はまだ東洋大哲学科在籍中で 囲碁・漫画始め多様な趣味と交友に興じつつの模索期だったようだが 将来プロの小説家になろう(なりたい)とは考えていなかったと思われる。それがこの創刊号のみで終わった同人誌を契機に こんにちに至るまでの命運が決定的に変転したわけで その意味では氏の疾風怒濤時代を象徴する一書と言えるかも。
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